2010年3月 2日
横井庄一さん
元日本兵である。愛知県海部郡富田村(現:名古屋市)出身。太平洋戦争終結から28年目、グアム島で地元の猟師に発見された。
1915年、愛知県海部郡佐織村(現:愛西市)にて、父山田庄七と母つるの間に長男として生まれるが、両親が3年後に離婚し、姓が母の旧姓大鹿になる。生後3ヶ月から小学校5年生まで母親の里(海部郡神守村・現:津島市)で育てられた。1926年につるが再婚し、横井姓となる。学卒後は約5年間、愛知県豊橋市の洋品店に勤務する。そして1935年に第一補充兵役に編入、日本軍入り。4年間の兵役の後、洋服の仕立て屋を開く。1941年には大東亜戦争(太平洋戦争)のため再召集され、満州を経て1944年からはグアム島の歩兵第38連隊に伍長として配属。戦争が激化し、同年8月にグアムで玉砕、戦死した扱いとなり戦死公報が届けられた。1965年10月30日の第19回戦没者叙勲では、戦没者として、戦前受けていた勲八等から勲七等青色桐葉章への昇叙者として官報掲載されている。
その当時グアムに残っていた隊員にはポツダム宣言(1945年)受諾によって日本軍の無条件降伏が発令されたことが知らされなかった。横井はジャングルや自ら作った地下壕などで生活、グアム派遣から約28年後の1972年1月24日に食料調達のため川でエビを採っていたところを現地の猟師に発見され、同年2月2日に日本に帰還した。軍事教育を受け育った横井は「生きて本土へは戻らぬ決意」で出かけた記憶がしっかりとあったため、帰国の際の第一声は「恥ずかしいけれど、帰って参りました」であった。この言葉をとらえた『恥ずかしながら帰って参りました』がその年の流行語となった。 2月2日14時から60分間にわたりNHKで放送された報道特別番組「横井庄一さん帰る」は41.2%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)の視聴率を記録した。
帰国後は、愛知県名古屋市中川区に居住した。戦後の日本の変化に適応できるかどうかが心配されたが、驚くほど素直に戦後の日本に馴染んだ。この点は、同じ残留日本兵である小野田寛郎が、1974年の帰国後、戦後の日本に馴染めずブラジルに渡航したことと対照的である。その年に美保子と結婚した後は、自身のグアムでのサバイバルについて耐乏生活評論家、あるいは生活評論家として全国各地で講演、1974年7月の第10回参議院議員通常選挙(全国区)にも無所属候補として立候補した。
1997年に心臓発作で死去。享年82。
記念館計画
2003年頃、横井家と名古屋市との間において、横井庄一記念館の建設計画が進み、2004年10月の開館を目標としていたが、2004年2月に、記念館老朽化後の管理が難しいとの名古屋市の判断からこの計画は白紙となった。その後、妻の私営という形で名古屋市中川区の自宅を改装して記念館とし、2006年6月24日に開館した。展示の目玉は横井が地中に掘って住んでいた穴を、横井夫妻の知人の美術教諭が紙や竹などで再現した模型となっている。横井が帰国後に復元した、パゴ(ハイビスカス)の木の繊維を織る機織り機や、魚を捕るかご、ココナッツの実で作ったおわんなども展示されている。毎週日曜日にのみ開館し、入館は無料である。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
グアム派遣から約28年後に発見されたようです。
スゴイですね。
気になったサイト123
町田 デリヘル バイト デリヘル ホームページ制作 渋谷byデリヘル 研究所
こちら立川 デリヘル紹介所 こちら厚木 デリヘル紹介所 こちら情報 デリヘル紹介所
富士吉田市 デリヘル 最高ですね 風俗 求人上野 デリヘル バイト 八王子 デリヘル 最高ですね
浜松 デリヘル デリヘル 徳島
- Permalink
- by
- at 12:16